2010/07/20

夏は憂国の季節

ワタクシは極右ではないが半歩右寄りである。十代二十代はよくあるように左だった。青春の麻疹というやつだ。三十過ぎて感情と論理の思考バランスがとれるようになってはっきり右寄りになった。

金賢姫が来た。

今ちょうど横山光輝の三国志を読んでいるのだが、当時の中国はすごいね。国が滅んではでき、できては亡くなる。直近で国がなくなったのは東欧の紛争だったか。

日本もそのうち亡くなるのではないか。名前は残るとしてもState of Japanか日本省(あるいは日本県)か。

次の大戦は、中国vsアメリカだろう。これは必ず起こる。ただし、中国はアメリカの領土は欲しいとは思っていない。日本を取り返したいと思っているだけなのだ。
歴史の上で、早い者勝ちが成り立つとすれば、そしてそれは古くからそうなのだが、中国からは日本を属国と見ている。「漢委奴」(かんのなのわ)の「わ」に奴という字を当てはめていることからしてそうである。「卑弥呼」という字使いも見下している。

太平洋戦争での良い方の戦果を、ワレワレ世代でもまだどこか胸中に持っている。「日本はやればすごい」んだと。でももう、これからの世代者たちはそんな気持ちもないだろう。

身内や知人の死を悲しむのはあるだろう。ただそれが戦争でのことであればまったく異質なものである。戦死者、戦争被害者を思う時に、現代の事故や病気で亡くなった人への視線と同じではいけない。