2011/05/31

「国旗(国歌)問題再考」(内田樹氏のブログより)

ワタクシ自身は思想・宗教・信条的にはノンポリである。では思考と判断の基準はどうしてるかというと、これまでの経験と蓄積を用いたその時その時の場当たり的な人間だと自負&卑下している。
そんなワタクシが国旗・国歌について思うことをこれから書かせてもらうが、上記のとおりテキトーな野郎なので「フフン」という程度で読んでいただきたい。

以前に何度か書いたけど、ワタクシの信的傾向は年を追うごとに変わってきている。
若い頃は「青春の蹉跌」が如く左に傾倒していた。でも今では右だと思っている。
その変化は徐々にであったけど、劇的なターニングポイントは靖国神社に所蔵されている「特攻隊の手紙」を知った時だ。
半日ほど嗚咽泣きで過ごし、個人よりもっと大事な「公け」というものの実感を強く感じた。

若い時は「自分探し」をしたくて「個人とは?」を問い詰める。誰でも一度は通る時期である。
その後、結婚・子育て・子離れ・家族の死などを経験するうちに「個」は日常に埋没し、「個」をラッピングするものの存在がたくさんあることを知る。
そして、その一番外側を包むもの、すなわち「国」を実感として気付く。(まあ宇宙とかユニバースとかまで行く人もいたりするけど)

ワタクシはそんな考え方の変遷を通ってきたものだから、今では「国旗・国歌」についてはなんの異論はない。当然なものだと思っている。(国旗・国歌の法律的制定はついこないだだったのは知っているし、それらにはなんの根拠もないことも知っているが)

ワタクシが受けた教育の刷り込みかも知れないが、日の丸を前にしたセレモニーで君が代を歌うことに躊躇はないし、それに異議を唱える人にはこちらから違和感を感じてしまう。

でも、でも、である…。
タイトルにある内田樹氏のブログエントリーを読むと「ううむ、なるほど…」とも思う。

憲法が保障する「思想・信条の自由」からすると「国旗・国歌」の強制は明らかに違憲である。
また、「国旗・国歌」を敬わない人にはワタクシは違和感を覚える。
そうして、ここで国民の言い分は二分されてしまうのかと思っていたところに内田氏の文章を読むと「ううむ、なるほど…」である。

どちらなのか、と問う前に、大事なのは「醸成」なのであるのだ、と。
これでまた、ワタクシもまた一歩大人になれたのかも知れない。

大人の矜恃、または大人のやり口

大人の対応は、受けて受けて堪えることである。
大人の会話は、聞いて聴いて二度三度相槌を打つことである。それも真摯な態度で。

少しの違いにここぞとばかり自分の主張を押し通してはいけない。

もし相手が自分より優ってるなら素直に受けたまわり、そして懐柔しよう。
もし自分より劣ってると思っても耳を傾け、そして懐柔しよう。

懐柔、それが大人のやり口だし、大人の矜恃でもある。

2011/05/30

今だからこそ新聞のチラシ

チラシを作っている。
今度近所にできる焼肉屋さんの新聞折込用チラシである。

店側から頼まれたのではなく、自分でやらせてもらうことにした。デザイン料とか手間賃とかはない。そういうのをもらうほど身の程知らずじゃないし。
ただ、こないだまで通った学校でイラストレーターをせっかく勉強したので何か結果を残したいなぁと思っていた。この機会は「私に船」である。「渡りに舟」か。

調べたみたら、1000部配布で印刷・配達を合わせても5000円くらいだった。安くね?

新聞の定期購買世帯もどんどん減っている昨今、折り込みチラシが持つ広告能力にも疑問があるけど、要は使い様である。
ターゲットの客層が千住在住の40〜60歳overだと考えるとネットではあまり意味がない。
こういう対象だとレガシーだけど新聞のチラシは有効なんじゃないのかな、と考える。

ウチは購読料なしで読売新聞が入ってるんだけど、個人経営飲食店のチラシはまだ見たことない。
なんでみんなやらないんだろ?確実だと思うんだけどなぁ。

2011/05/29

コミュニケーション障害者たち

いつの時代にもいるのだろうが、コミュニケーションができない人間。
なぜああいう人は会話でやりとりをしないで、ずっと自分が言いたいことを話してそれで終わりになるのか?
男だから女だからという分析もあったけどそうでもなさそうである。

ワタクシの経験から言わせてもらうと、
人(他人)と会話せずに自分のことだけをずっと話す性癖がある人間は、自分のステージ・居場所、もひとつ言うと自己存在証明ができない人なんじゃないだろうか?

人間の定義は「交換する動物」であって、その一つには「言葉の交換」がある。なので「言葉の交換」すなわち「コミュニケーションができない」なら、イコール「人間ではない」のかも知れない。

ちょっと脱線したが、
「言葉でコミュニケーションしないで済む存在」もあったりする。音楽家だったり芸術家だったり、「何かを言う背中を持つ」親や先輩たちだったり。

少なくとも、言葉以外で表現しようとしてる立場な人間の、言葉の羅列にはなんの内容も魅力もない、ということを最近改めてそう思っている。

もう一つ言うと、今まではそういう存在を「バカ」と思ってたけど、あまりにも多いので「可哀想な人たち」と考えている。
でも、昔からそんな人はいっぱいいたし、これからどういう社会教育になってもいなくはならないので、「バカ」と言ったワタクシ見たいな考えの人間が過半数以下になったら、こういう考え方が「バカ」と言われる世界にもなるのかも知れない。

っていうか、外で自己表現ができないとしても、ちゃんと話しを聞いてくれる人がいないのカナ…

2011/05/19

iMovie '11での読み込み時間データ

オリジナル720p/29'50"
Mac mini Core2Duo 2GHz メモリ4GB

解像度最大 14'39"
解像度大-960*540 21'14"
Finderコピー 2'18"

ぐぬぬ…、やっぱ時間かかる。

2011/05/17

iMovie '11の威力

ああっ!知らんかった!

SonyのMHS-CM5で撮影した.MP4ファイルをFinal Cut Proで編集しようとするとそのままでは使いづらい。MHS-CM5の.MP4ファイルはオーディオビットレートが32bitの浮動小数なのだが、Final Cut Proには8か16か24の整数しかないのである。なので、オーディオのレンダリングが頻発して非常に使いづらい。

今まで、げんなりしながらもちょこちょこレンダリングしたり、一度ProResに変換していたが、前者は思考集中力が途切れてしまうし、後者は1ファイルのトランスコードにとんでもない時間がかかっていた。30分のファイルが5つもあると一晩かかる。

ところが、さっきふと思い立ってiMovieでファイルを取り込んでみたところ、自動的にオーディオのビットレートを32bit浮動小数から16bit整数に変換してくれることを発見したのだ。おまけに解像度を変えなければH.264のままだし、960×540(iFrameっていうやつね)にするとApple Intermediate Codecになる。

取り込み(トランスコード含む)の時間もそんなにかからない。こりゃあ知らんかったわ。なんつー便利。iMovie '11バンザイ!である。

ていうか、Final Cut Pro、もうちょっと良くなってよ。やっぱPremiereは使いづらいのだから。

2011/05/16

家が欲しい

もしも〜ワタシがぁ〜家を建てたなぁ〜ら〜♪

海のすぐ近く。縁側から歩いてすぐ、みたいな。
入江に囲まれていながら砂浜もある、ような。

建物は平屋で十分。六畳二間あればよし。
できれば、できればぁ、裏は山で清水が湧いてるとか小川が流れてるとうれし。

外房、三浦半島あたりにないでしょうか?

津波?こわいですねぇ。