2010/08/11

戦争の功罪・前編

「戦争は絶対的に悪だ!」という、感情第一な頭の悪いのはちょっと置いといて、
戦争の功罪について考えてみる。

「戦争と平和」というストックフレーズ(何も考えず口にする言葉:(例)こんにちは、とか)は、今ではもうワレワレ日本人のほとんどの血肉に反義語として染み込んでいるようだ。

でも、少し考えてみると「戦争」の反対は「対話」であり、「平和」の反対は「無秩序」ということが分かる。「戦争」の反対が「平和」だと言う人は、そう教えられた後に自分で考えられなかった可哀想なコか、意味が分からず日々言葉を発してるアタマの弱いコであろう。そういう人はアタック25の予選を通るのは無理なのだよ。

さて、では戦争の罪とはなんだろうか?人によって立場によっていろんな意見が出てきそうではある。でもなんか、よく聞く内容の範囲を超えない気がする。
大事な人の命を奪う、苦しめる。その家族・知人をも苦しめる。戦場の光景は悲惨で胸が痛くなる。敵も味方もだれもやりたいと思っていない。社会や国レベルでもいいことは何もない。

戦争の罪に関しては、もっともっと、人それぞれに言い尽くせないことがあるだろう。
個々の具体的なとこは置いといて、総論としてはそうだろう。

では、「戦争の功」をみんなは考えたことがあるのだろうか?

今日はここまで。眠くなっちゃった。次回はその辺のとこを描いてみたい。

戦争に功なんかあるわけないと言う、30・40・50歳の人がいたらもうちょっとアタマを使って考えて欲しい。感情だけで一生終わるものありだが、少しは考えて自分の意見を紡ぎ出してみようとは思わない?
自分が生きていた証しが、自分の子どもっていうのも、なかなか寂しいもんだよ。