でも味を知ってしまったのか、一日一回「にゃ〜ん」と来られると缶詰とかの生タイプをあげてしまう。
「分かった分かった。今あげるから。『パカッ』」と生タイプのエサをやる時、なんか違和感を感じてた。「う、なんかオレ、上から目線?」
ネコたちにとっては、エサをくれるのはオレなのだ。オレがいなかったらネコたちは腹が空き、ひもじくなり、どうやって生きていけばいいか分からないわけだ。
おっとっと、オレは命の生き死にを操れる存在か?
支配は身近なところに存在する。世界にも国にも社会にも家庭にも親子にも男女にも友達にも、飼い猫との関係にも。
「この支配からの卒業」というフレーズがあったねぇ。遠い眼をしてしまうねぇ。
飼い猫の性と思い切って、それが当然だとしても何も問題はない。人間社会の中でペットを飼うには、まずはじめに人ありきなので周囲を第一に考えねばならない。「外ネコ」というネコを周りではどれだけ迷惑に思ってるのか、ネコ好きだとしてもしっかり考慮しなきゃいけない。
マルクスあたりから、そして現代の思想にも、「支配」をキーワードにして考えるものが結構あるが、ポスト構造主義のポスト扱いで「支配」というのはアリな今なのかも知れんな。