2009/07/20

「物語」で人は理解する

昨夜、「さぁ~て、炊飯器のスイッチ入れるか。ピッ」としたら電話が。「おいでぇ~」で、日曜夜恒例の食事会へ合流。

24歳の孫娘がはじめてパチンコの花の慶次を打ったらしい。前からやってみたかったのだが、前夜夢にも出てきて、いてもたってもいられなくなったのだという。かっこいいと女性方から人気の花の慶次に関してはコミック本もあって、みんなそこだけ歴史に詳しい。50過ぎのオジさん、50近くのオバさん、そして24歳のムスメさんが上杉謙信がどうしたとか、直江兼続がこうしたとか、あの女は最後にああなるとか。

なるほど。

何かを伝えたり伝えられたりする時、「物語」はとても有効なツールとなる。
抽象的だったり観念的だったりすることは、そのままでは普く人々に受け入れてもらえない。
理論を直接言わずとも聞かずとも、「物語」の裏に在る人間関係や社会とのつながりを感じて身に着けていく。それが啓蒙度が低い人々には有効である。

もちろん、宗教は「物語」で構成されている。