2011/01/30

ワタクシ的芸術への態度

美術・芸術作品と接する時、その作者には興味ない。それがワタクシの態度である。
ワタクシの目に映るもの、耳に入るもの、手に触れるもの、舌を流れるもの、鼻を通るもの、それらを感じるワタクシの思い。ただそれだけだ。
できるなら、作家という人間が作らずにその作品があってくれたらワタクシはもれなく神の存在を信じるだろう。

むかし、テレビ番組でシャガールの回を担当したことがある。
ああいう一人の作家にスポットを当てるような番組は、必ずその生き様を紹介するブロックがある。何年にどこで生まれて、子どもの頃はどうで、思春期はどうしたで、挫折したとかしないとか、なんたらかんたら…。
確かに、そういう情報を知ればその作品により深い理解を持つことができるかも知れないし、あるいは作品のことはまるで分からなくてもある程度納得感を得ることができるのかも知れない。

芸術は難解なものである。なぜなら他者が作ったものだからだ。
理解されることを一切拒絶しているような作品もある。それでも人の好奇を惹くのは誰が作ったというより、どういう意味があるというより、その表層に惹きつける力があるからである。
すべての芸術に必ずあるものは表層なのである。

とはいっても、作家のことや他の付帯情報も含めての鑑賞を否定はしない。ある程度の共通認識を持つことは観る人々側のコミュニケーションに必要だからだ。「これ、いいね」「うん、いいね」というより、「これ、ここがいいね」「うん、ここがいいね」の方が分かり合えた感が深いんでしょ。

でもそういうのって、もう作品はどっか行っちゃってるってことだよね。