2010/05/02

久しぶりの自炊で思ったんだが…

ネットで知って「スタ丼」(スタミナ丼)なるものを作ってみた。
国立の一橋大学生なら皆が食していて、今ではあちらこちら(最寄りの店は秋葉原)に出展してるという。

豚バラをニンニクベースのタレで味付けし大盛りゴハンに乗っけたもので作り方は至極シンプル。
久しぶりの自炊といっても日々簡単なものは作ってるんだが、これもまた簡単なレシピだった。

さて、食べてみた…。
まあまあ。
想像を超えてはいない。
んー、モグモグモグ…。

はたと思った。
一度も食べたことがないものをどう評価できるんだろ?

昔、札幌のビール園見学で飲んだサッポロビールが信じられないくらい美味かった。案内のおねいちゃんに「いつも買って飲んでるのと全然違う。」と言ったら、「そうでしょうね」と言われたことがある。
「そうでしょう」じゃなくってさ、おんなじ味で流通させてよ。
その時は、やっぱり出来たてが一番美味い、そしてどんどん美味しくなくなるもんなんだな、と納得したが、その後埼玉県のどっか、アサヒビールの工場で飲んだアサヒドライは巷で飲んでも味は一緒だった。どういうことか?アサヒビールの流通が良かったのか?んにゃ、アサヒビールは劣化したときの味を想定して作ってるんじゃないか?

ジョニ黒は世界中どこ行っても味が一定だと先輩が言ってた。なるほど。

話は戻ってスタ丼。
本物を食べたことがないのに美味いのかまずいのか言う資格がないってことを今更理解してしまったのだが、そうして考えると「この○○は美味い」とか言うこと自体にすでにウソがあるということになる。とすると、スタンダードな飲食物、さらには他の感覚で感じる物のほとんどがウソを含んでいるわけだ。

今後は、「オレが今食べてる○○は美味い」とか「オレが今感じてる○○は良い」とか、<オレが今>と接頭語をつけなければその感覚にはウソが含まれていることになるが、問題はそれが誰かにどう伝わるかではなくて、自分自身にウソをついてるってことなのだ。