まずは黙祷。
前にも書いたと思うが、戦争の反対は平和ではない。戦争の反対語は「対話」である。
ワタクシだってヒューマニズムからすると戦争は嫌いだが、人間社会に方法論としてあるのだから最終的手段としては否定できない。
その昔、というかずっと太古。狩猟で暮らしていた時代にヒト同士の戦いはなかったと考える学者が多い。なんとなく分かる。
それが、農耕を始めると土地を所有し余剰物を蓄え所有し狩猟の対象がその「所有」物と「所有」者に向けられるそうな。それも分かる。その原理は、いつの時代にもあった戦争の原因に適用されてきた。
ぶっちゃけ言い切ってしまえば、「所有」することは戦争のオリジンな基である。
だから、何かを所有したいと思っている人間は戦争を否定なんかできないのだ。愚かどもめが。
ただ、戦争でさまざまなことを失った人たちを思うと胸が痛くなる。
死んでいった人も死なれた人も、死の気配がする日常に暮らしていたことを考えると、量りしれないやりきれなさがワタクシの気持ちの中にさえも沸いてくる。
ヒトの特性は、その底にヒューマニズムが基盤となるように進化していけないものだろうか。